とても上品な日記

とても上品です

後悔の多い大学生活を送って来ました

こんにちは。とても上品です。冬本番も近づいてきましたね。洗濯物を干したり食器を洗ったりなどの家事も辛くなってきました。皆様も体調にはお気をつけください。

 

という性に合わない前置きは置いといて、今日は趣向を変えてゴリゴリに自分語りをしようと思います。特に私に興味の無い方はウィンドウを閉じてしまいましょう。

今日の記事は本当に思いつくままにつらつらと筆を進めるつもりなので、とりとめのない話になってしまうかもしれません。予めご了承ください。

 

自己紹介

まずは自己紹介から。福岡出身で都内の大学に通う一人暮らしの男子大学生です。福岡出身なので博多弁ユーザーなのですがもう上京6年目ともなると博多弁もほぼ消えつつありますね。

一浪して大学に入り教養課程を経て2年次後半から専攻に分かれ、私は電気電子情報分野へと進みました。

プログラミング経験も無いのにたくさんプログラミングをするであろう学科になぜ入ったのかというと、私にとって興味のあるものは「ゲーム」くらいしかなくて、広い意味でのコンテンツ産業みたいなものに関われればいいなくらいの軽い気持ちで選んだ学科でした。大学での成績は真ん中くらいだったのでプログラミングも脱落しないまでもついていくことはできるだろうな、あわよくばプログラミングが得意になれればいいなという期待もありました。

 

学科に分かれてから

教養課程のクラスが28人だったのに対し学科は130人くらいで、学科に分かれた直後はそもそも知り合いが4人しかおらず、非常に肩身が狭い思いをしていました。ここで一念発起して「友達をたくさん作ろう」と思い、Twitterで交流したりリアルでは頑張って話しかけたりして知り合いをどんどん増やしていきました。幸いオタクの多い学科なので話が合う人が多く、知り合うこと自体には困りませんでした。

ただこれは非常に打算的な行動で、勉強していてもわからないことはわからないので、とにかくたくさん友達を作って「困ったときに助けてもらう」人を増やそうという計画のもとの行動でした。かなり下心のある行動でしたが結果的には仲の良い友達が増えたので、終わりよければすべてよしということで。

 

学科に分かれてからは非常に大変でした。B2(学部2年生)の冬なんてクソ固い椅子のある教室に1日4コマも5コマも拘束されて、学祭期間と中間試験ラッシュが被っていて、2月からは期末試験ラッシュで永遠に終わらないかのような試験対策に追われました。授業の無い現在から振り返るとそんな忙しい日々も楽しかったし充実していたなとは思います。

プログラミングについては強い人にいろいろ聞きながらなんとかついていこうと頑張っていましたがなかなかうまくいかず、結局向いてないなと思いました。

B3時代

B3になってからキャンパスが変わります。建物もキレイになり全席コンセント付きで学科PCまで貸与され、午後は週3(13:00-17:00)で実験です。理系大学生の典型的な生活ですね。コマ数は20ちょいくらいだったと思います。

本当にいろんなことがありました。人生で一番楽しかったんじゃないかと思える時期でした。

①控室がある

学生控室というものがあり、学生用のロッカーと20人が椅子に座れるくらいのスペースのある部屋です。使い方は決められていないのですが、私はとにかくここを「電気系学生の勉強スペースにしたくない」と思い、積極的にドミニオンカタンといったボードゲームやら何やらでワイワイするようにしました。ちなみにデレステがリリースされたのもこの時期で、皆で控室でデレステして友達がLEGNEをフルコンしたと言って騒いでいたのも思い出深いです。

②工場見学がある

毎週水曜日、非常に有名な企業の研究所などに希望者で集まり見学に行くことができます。現地集合だったりキャンパスからバスで行ったり、さながら遠足でした。行くのが10-30人くらいの規模だったので、まだ知り合ってない学科の人にその場で話しかけて友達になったりなど、まだまだ友達を増やす計画は続いていました。見学そのものに関しては面白くない回もたまにはありますが基本的には面白くて、本当に遠足のような気分で楽しんでいました。

③勝手にシケ対のマネごとをした

シケ対(試験対策委員)制度はあったのですが、一部の学科民がそれとは別にobenkyoと名付けた勉強会をしていました。始めは私はメンバーではなかったのですが、「自分の知らないところで自分の知っているオタクが秘密の会をしているのが気に食わない」と思って、空いている教科のメンバーに名乗り出て毎週発表をしていました。人前で発表することははそこそこ上手いという自負があるのですが、ここでそれがより鍛えられたと思います。

 

そんなこんなでB3を過ごし、B4からは研究室に配属され卒論を書くことになります。

B3終盤で研究室選びをすることになります。いろんな研究室があるのですが、ゆるふわだという噂を多数聞く研究室を選びました。プログラミングができないので自分からゴリゴリ何かを進めることは無理だろうと判断し、ゴリゴリな雰囲気が求められるであろう厳しめの研究室を避けた結果です。

 

B4になってから -2016年-

ここから人生が狂い始めました。

研究というものも研究室というものも人生で初めてでありいろいろと緊張していたのですが、とりあえず研究室メンバーとの顔合わせ。先輩たちも良い人そうでよかったよかった。

とりあえず先輩と似たテーマにつくことになり、環境構築をしていきます。ですが私がついた先輩もどうやら環境構築が苦手なようで、環境構築が思うように進みません。「よくわからないからまた今度続きやろうか」「そうですね、わかりました」といって終わる日々。私には何もできない(IDEの環境構築が人生で初めてだった上に使う言語も初めてだった)ので先輩頼りになってしまうのですが、先輩もあまりラボに来るタイプの人ではなかったですし、かといって他の人に聞いても迷惑になるし時間も奪っちゃうな(※)と思い、そのまま年月が過ぎていきました。

(※B3までは同じ授業を受ける人間が同じ目標に向かって進んでいるのでわからないところを聞くことは互いの利になっていたが、研究室に入ってからは一人一人違うテーマに沿って進めていくのでこちらのわからないところを聞いても相手の利にならないのででどうしても聞きづらかった)

そうして進捗の無いままミーティングを迎え、特に何も進んでいないので「○○さんに環境構築を手伝ってもらってます」という進捗報告をし、2週間後のミーティングでもまた同じことを言う。徐々に苦しくなってきていました。自分はこれからどうなるのだろう。

8月に院試があるので7月からは「院試勉強をしています」以外に言うことがなくなりました。幸い院試には合格しました。得点率はちょうど55%くらいだったかな。久しぶりの "入試" だったので緊張しましたが合格できてよかったです。

9月に中間報告があるので、進捗が無いなりに今後何をするつもりなのか言わなくてはなりません。テーマについて新規性のカケラもない比較を取り上げて書き上げましたが、発表後の質疑応答で「それは何が新しいところなんですか?」と見事にツッコまれました。「新しいところはありません。」と答えたところ中間報告の成績がで返ってきました。ちなみにほとんどの人はでした。

どんどんしんどくなってきて、10月は研究室には行かなくなりました。

11月になって「そろそろまずい」ということで研究室に行くも、環境構築で詰まったまま結局何も進みません。環境構築すらできていない状態で卒論提出まで残り3ヶ月、そもそも環境構築どころかプログラミングもできないのにこれからどうすればいいんだろう。

12月になり、ちらほら留年の2文字が頭に浮かぶようになりました。結局自分には何もできないし、このままやっていても何も進まないし、卒論が書けずに留年するのだろう。そういう思いが募るようになります。

1月には卒論の題目提出、2月には卒論の提出と発表があります。題目を出したか出してないか覚えていないのですが、1月になって留年を決心しました。自分は今年卒論を出すことはできない、そう判断しました。

これはいろんなものを切り捨てることになる判断でした。後期課程の寮(家賃1万円)は2年が限度なので寮を出て一般の賃貸に住むことになりますし、そうなると家賃は7倍にも8倍にもなり仕送りしてくれている親に対して相当な負担になります。また院試に合格したことも全て無意味になります。

そういう辛い面があることがもちろんわかっていながらも結局自分には研究を進めて卒論を書く能力がないから無理だと判断し、留年することにしました。

 

そうするに至る決定的な理由がもうひとつあって、11月頃ににっちもさっちもいかなくなり「そろそろまずいんですけどテーマ変えたほうがいいですかね」(2018-12-11追記→)とか「卒論どうすればいいかわからなくなりました」などとひどく弱音を吐いて(←追記終わり)教員に相談したときに「うーん、卒論は自分で進めるものだから自分で考えなよ」と言われたことですね。ああ、この人は助けを求めても助けてくれないんだな、と諦めました。

教員の話が出たので少し教員の話をしておくと、若くてオタク趣味があり話しやすい人です。趣味もかなり合うのでとても話が合い、人間としてはとても接しやすい人です。ただミーティングの場で学生に接する態度がやけに高圧的だったりするなど、研究室の教授としてはあまり私とはそりが合わないということはありました。

留年するにあたって一つ期待のようなものがあって、留年せずにここまで来れたんだしちょっとは休んでもいいよねとか、人生初の留年だから何かが起きる・何かが変わるんじゃないかとか、そういう変な期待みたいなものはありました。

 

2週目のB4 -2017年-

正直に言いますが、去年のことなのにあんまり覚えていません。何も起きませんでしたので。覚えていないので覚えている範囲で書きます。

まず前期は休学することにしました。これは単に学費節約のためです。中間報告が夏学期の単位で卒論本発表が冬学期の単位という扱いであり、先述の通り中間報告の単位は持っているので、学費節約のために前期は休学しました。

何してたかなあ。本当に覚えてないですね。多分ボルテとSplatoonをしていたような気がします。院試は申し込みましたが無気力だったのでノー勉で受けて落ちました。

後期になり復学をしたのですが、研究室には行くけどテーマも決まってないし特に研究することもない、みたいな意味不明な生活をしていました。結果としては留年しても何も変わらず、特に卒論が書けるようになることもなく、もう1留することが決まりました。

1月になって1コ下の後輩が卒論提出に慌ただしくなってきた時期はかなりしんどかったですね。1月末にモンハンが発売されて、2月からは卒論から逃げるように人生初のモンハンライフを謳歌していました。

 

3週目のB4 -2018年

夏学期は相変わらず休学です。モンハン楽しいですね。まず間違いなく今までの人生で一番短期間に集中的にのめり込んだゲームです。2月の初めから1ヶ月半で500時間遊びました。1日10時間以上という計算ですね。

就活をしてみました。関東のとある地方公務員と国家公務員一般職を受けようとしました。地方公務員のほうは電気電子情報分野に関わるであろう「設備」という部門で受けました。全くの無対策で挑んだところ面接でやる気がないようなことがバレるようなちぐはぐなことをいい続けてしまい普通に落ちたんですが、受かっていたら受かっていたでシフト制で夜中にダムの管理とかそういう肉体労働チックなことをやらされていたと考えると落ちてよかったのかもしれません。

国家一般職のほうは試験に寝坊して終わりました。こういう大一番で寝坊することは人生でも1度もなかったので、さすがに寝坊した日は1日グロッキーでしたね。要するに無気力なゴミです。

院試は受けていません。もう院に行く気もなくなりました。院に行っても入院即休学でバイトとかしていたでしょうけど。

冬学期(まさに今です)は就職先が決まったら復学しようと思っていたんですが決まらなかったので一応休学ということで届けましたが卒論が書ける状態になれば復学する予定です。もう冬学期も中盤なので矛盾しているように見えますがちょっとこれに関しては詳細は表には出せないので、とりあえずこれだけ言うにとどめておきます。

 

そして現在

 

今年卒論を書くかどうかなのですが、気持ちとしては書きたいです。ただ「気持ちとしては書きたい」というのは去年も一昨年も同じだったわけで、今年だから書けるようになるという特段の理由は見当たりません。

仮に今年卒論を書けなかった場合ですが、私の同期は現在M2(大学院2年生)=今年で卒業の人がほとんどなので、来年は研究室から同期がいなくなるということになります。同期がいなくなると後輩ばかりになり、後輩に卒論の指導を仰ぐことになるというのはなんともお互いやりづらい状況になります。つまり来年からは卒論を書こうとしても今より状況が悪いはずなので、今年を逃すと何かしら起きない限りこれから卒論を書くことはできなくなるでしょう。

で、その「何かしら」が起きて卒論が書けるようにならないかなあという裏の期待も持ちつつ引き伸ばし引き伸ばしこれまでやってきたわけですが、結局何も起きませんでした。当たり前ですよね、自分から何も起こそうとしない人の周りでその人の利になる何かが起きるわけはありません。なんか進撃の巨人っぽい。

一応10月くらいに同期に「卒論書きたいから手伝ってくれないか」と言ってサポートを頼んだんですが、結局私が研究室に行かないままなので何も進むことはなく、今年も卒論提出は厳しいと思います。というか今のままでは無理です。自分で無理だとわかっていて改善をしないというのは、要するに「やる気がない」ということですね。やる気がない人を誰が救えるんでしょうか。

 

自分はどうしようもない無能なんだな、と最近ようやく気づくことができました。

 

プログラミングをする能力がないからやらない

わからないことを友達に聞いて友達の時間を奪うことが申し訳ないから聞かない

やる気がないからやらない

卒論が書けるようになる「何か」が起きることを期待はするが何も起きないことはわかっていて、それでも期待はする(が結局何も起きない)

教員とそりが合わないからやらない

研究室に行ってもどうせ進捗は生まれないから研究室には行かない

……etc

 

そもそも自分が無能であることはB2の時点からわかっていました。自分が無能なのをどうにかしようとして友達に助けてもらおうと思い友達をたくさん作ったはいいものの、結局誰を頼ることもできずじまい。環境構築だって自分がついていた先輩だけじゃなくてなりふり構わずいろんな同期にも先輩にも聞けば解決できたかもしれない。無能な自分をごまかすために自分で勉強するのではなく人を頼ることを選んだはずなのに、人を頼ることすらできない。

本当は頼りたくなかったのかもしれない。仮に環境構築ができたところで次に待っているのは苦手なアイデア創出と地獄のプログラミング。プログラミングから逃げたくて結局誰も頼らないという結果を選んだのかもしれない。

一念発起して頑張れば卒論が書ける、そう思っていたこともありました。生存バイアスがあるとはいえ「卒論は参加賞」という言葉は信じていますし、実際今から死にものぐるいでいろんな人を頼れば卒論は書けるのかもしれません。それをわかっていながらそれをしないということは結局「やる気がない」ということに尽きるんだと思います。

 

 

詰んでいます。

 

これも詰んでいると言うことで許しを請うているのかもしれません。誰に許してもらうの?わかりません。自分がわかりません。

2017年から人生が楽しくありません。いくら誰と何を話し、何をどれだけ遊んでいても「でも卒論書けてないよね」というのが常に頭をよぎります。軽度か重度かわかりませんがこれがノイローゼなのかな。これが強迫性障害なのかな。診てもらったことはありませんが診てもらったほうがいいのかな。

私は周りに対してつとめて明るく振る舞うようにしていますし、実際のところ楽しいときは楽しいです。でも少しでもそれがなくなると途端に「ああいま俺は卒論を書けてないんだな」「自分は大学を卒業できないんだな」「大卒もできずに暗い人生を歩むことになるんだな」という思考が頭をよぎります。

 

こう書けば察していただけるであろうという判断のもとで詳しくは言いませんが、あることをしようと考えたことも何度もありました。特に公務員試験の面接日の前後数日などは自分の人生が動くことになるかもしれない恐怖感が襲ってきて耐えられなくなり、サークルの先輩に相談を持ちかけました。今思えばたいへんな相談だったと思います。

今でも「そう」しようかなと思うことはありますし、親にも場合によっては「そう」しようと思っているということを報告しました。相談ではなく報告です。ひどい話ですよね、親より先に「そう」なるというのは最大の親不孝のはずなんですけど、それを親に相談じゃなくて報告なんて。

少し話は逸れるのですが、驚いたことに「そう」しようと思うと途端に人生が輝き始めるのです。人生にタイムリミットを設けるとそれまではしっかりと人生を謳歌しようという意志が働き、誰とどういうやりとりをしようとも全てが愛おしく感じられます。7-8月はかなりどん底で、近い内に「そう」しようと思っていたので本当に皆との時間を大切にしたように感じています。

 

これから

一応まだ在学年限は残っているのですが、これからもあまりにも卒論が無理だとなると退学も考えています。今のところの人生設計ですが、退学してバイトを探して食いつなぐフリーターになるんじゃないかなというふうに予測しています。まだ全然わからないですけどね。ちょっとバイトをやってみたいところがあるので、声をかけてみようかなと思っています。

いやあ、まさか自分が高卒になるとは思ってませんでしたね。残り単位は卒論だけというところまで来て、大学に入ってからの全ての単位をふいにするような事態になるなんて。大学に入ってから今までの勉強は何だったんだろう。皆と勉強してきたことは何だったんだろう。あ、涙出てきました。

ただクラスの人たちもサークルの人たちも学科の人たちも、あとは大学に入ってから始めたSplatoonで知り合った人もグラブルで知り合った人もみんな良い人ばかりで、そこは全く後悔していませんし、むしろ自分にとっての財産は今はそれしかないと思っています。

食いつなげなくなったら「そう」すると思いますが、そうなるとその財産も全て失うことになりますね。逆に全て失うことがわかっているとこの瞬間、1分1秒ですら愛おしくなります。

いやあ、アホらしいなあ。参加賞にすら参加できないなんて。無能にはおあつらえ向きの結末ですよね。

 

逆に自分には何ができるのか

自尊心のために最近の自分の強みを考えてみました。

・友達を作るのがうまい

・話や文章が上手い(らしい)

・人にものを教えるのがうまい

・友達の「○○やりたいな」をつかまえて人を集めて実現させる能力がある

・自分が関わる遊びならすぐに友達を巻き込んで楽しいものにさせる自信がある

・自分がやりたいと思って始めたことには異様なのめり込みと集中力を見せる

 

こんなところですかね。電気電子情報分野に来たのは間違いだったかな。文系に行けばよかったのかな。

 

さいごに

なんか8000字とか超えてきててビビってます。まとまりのない文章ですみません。これから何かしら加筆するかもしれません。

一応ある種のSOSのつもりで書いているんですが、特に誰が助けてくれるわけでも手を差し伸べてくれるわけでもないと思いますし、とりあえず今思っていることをこういうふうにして形として残しておこうと思いました。仮に「そう」なったときにも何かしら自分が生きていた証を残したいですからね。

 

今まで誰と何を喋っていてもどう不安を感じていてもそれを表に出さないように頑張ってきたんですけど、ここまで書いちゃうとさすがにもう我慢できないですね。少し泣かせてください。